まち歩き:
日時:12月02日(水) 集合・13:20 南部生涯学習市民センター 解散・15:30 香里橋
行程:「香里団地」界隈 桜公園ー以楽公園ー妙見山・煙突ーいちょう(公孫樹)通りーけやき通りー観音山公園ーこもれび水路
講師:枚方市観光ボランティアガイドの会
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○以楽公園
昭和の作庭家 重森三玲(シゲモリミレイ)氏により作られた
「以楽(イラク)公園」。石を組み合わせ造形物(滝など)が
この庭に多くあります。
下記をクリックすると詳細情報を入手することができます。
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○妙見山の煙突
(香里ケ丘8丁目)➡香里団地一帯には、戦時中、砲弾などの兵器用火薬(黄色)を製造する「香里製造所」がありました。
日中戦争が激化してきた昭和14年(1939)に「宇治火薬製造所香里工場」として
開設されました。宇治火薬製造所では、新工場用地を探し、人家が少なく、
交通の便もよい枚方の茄子作・中振の丘陵地を見つけました。
即刻、建設決定,昭和14年(1939)1月用地買収、12月黄色薬圧搾工場で火薬製造が
始まりました。
学研都市線星田駅から引き込み線がひかれました(今のスーパートップワールド)。香里工場は昭和17年(1942)東京第二陸軍造兵廠香里製造所となり独立。この妙見山の配水池に残る煙突は、石炭を焚いたボイラーの
煙突です。鉄筋コンクリート製で、高さ約20m・約直径2mです。
煙突の上方部にある鉄の突起物は、米軍の飛行機から攻撃を避けるために、木々の枝を括りつけて大きな木に見せかけるため。
敗戦により、工場は閉鎖されたが、しかし、昭和27年(1952),朝鮮戦争の特需で、火薬製造会社が旧香里製造所の払い下げを申請ました。
地元の枚方市・寝屋川市の香里地区住民は火薬製造所再開反対運動を展開、枚方市長・市議会・PTA・婦人会など再開反対を叫び、国会・政府に陳情を重ねました。
そして、半年以上に及ぶ地元住民の猛反対が功を奏し、翌年3月、政府は火薬製造所再開断念しました。
その後、昭和30年(1955)に日本住宅公団(現 都市再生機構UR)が設立されて、翌年(31年)、香里団地の建設が始まりました。
妙見山の一角は団地計画から外れたため、旧製造所汽鑵場の煙突は撤去されずに残りました。
枚方市は、昭和57年(1982)12月に大阪府下で初めて「非核平和都市宣言」を行い「不戦と平和」のシンボルとして、この煙突を保存することにした。
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○非戦の誓いの碑
戦時中、「香里製造所」で弾薬の製造をさせられていた学徒動員の女子学生の有志により
妙見山・末広公園付近に建てられた(2008年) 。
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○香里ケ丘-香里団地
約140ヘクタールの香里製造所の敷地は、戦後、香里団地としてベットタウンに
なりました。
現在は、いちょう(公孫樹)通り、けやき(欅)通りなど多くの
通りがある近代的な作りの住宅街に模様替えしています。
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○観音山公園
香里製造所の敷地外縁部にある「観音山公園」には陸軍用地の標柱や中山観音寺跡、
牽牛石像などがあります。
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○こもれび水路
商店街と住宅街の間には、「こもれび水路」があります。近くには「平和の像・語らい」の
モニューメントや「平和の誓い」宣言の碑があります。
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